さんずいに歩くと書いて

ローラースケートで駆け抜けてく彼らのこと

今日、グローブ座に行くはずだった人の末路

あっという間に、今日がやってきたなという感覚です。休演のお知らせがあったのが3日前なので、そりゃあっという間やでと言われればそうなんですけど、感覚的には3日という日数よりも、もっと一瞬に感じられたなぁ~と。

 

彼らを応援していくなかで、こんな行き場のない切ない思いをする事はもう無いと信じたいし、いやほんとお願い!無いと言ってくれ!と心から願っているので、こんなことあったよな~といつかの自分が振り返って笑えるためにも、自分の気持ちを整理する上でも、末路記録としてしばし書いてみようと思います。

 

今日、グローブ座に行くはずだった人の末路。

 

そう、今日は本来であれば、東京グローブ座で上演されている舞台、○○な人の末路の月sideを観劇する予定でした。

そして、まあ何と言いますか、皮肉にも今日は私自身の誕生日でもあります。いやぁ、まさしくこれも自分で選んだ選択なんですが、こんな自ら墓穴を掘るような末路になるとは……まさにここはある種墓場のようだなと。笑うしかないです、どうか笑ってやってください(笑)

 

時を戻そう(byぺこぱ)ということで、○○な人の末路の舞台が上演されると発表されたのは、遡ること昨年の12月の初め。

 

4人が主演する舞台が決まったという嬉しいニュースだったのはもちろんのこと、舞祭組としてではなくKis-My-Ft2の4人としてのクレジットで、それぞれが個性溢れんばかりの素敵な演技で主演を張って見せてくれた、個人的にも思い出深いドラマの舞台化ということも重ねて嬉しい発表で。

 

舞台の上演が決まったことを喜びながら「これは絶対に見に行きたい!」と強く思ったなぁ~と当時も今も変わらず思っています。

 

それから、どうやら横尾さん千賀さんの月sideと、宮田さん二階堂さんの海sideの二手に分かれて上演されること。それぞれが同じ兄弟の役を演じつつ、途中で分岐となるシーンがありそこから別々の末路へと進む物語へと展開する構成になっていることを知ります。最初は「どゆこと?」となってましたが、「なんだか面白い試みをするらしいぞ」「しかも兄弟設定ってエモエモやんか~~」と、私のちっぽけな脳で理解していきました。

 

そうして、横尾さんを担当としている私としては「月sideを観なくては!」ということになり、上演の発表と同時に公開された日程を見てどの日程で申し込もうかと思った矢先「これは……」とひとつの日程に目が止まる訳です。

 

「自分の誕生日に、ちょうど月sideの公演があるではないか」と。

 

たぶん誰しも一度は憧れるんではないでしょうか。1年のなかで会える機会もなかなか無い担当に、自分の誕生日に会いに行ける現場があるという、またとないチャンスデー。

 

夏の時期にコンサートが集中しがちなキスマイさんの1年のサイクルからすると、冬の時期に現場があるのは本当に貴重なことでもあり、そのなかで「まさか自分の誕生日の日に公演があるなんて!」「しかも平日で、公演期間の真ん中あたりだから、狙い目なのでは!」と一気に体温が上がる感覚でした。

 

遡れば、舞祭組村 第一笑の時にもチャンスデーは存在していたんですが、その時はまさかのオーラスの日だったということもあって、ただでさえ激戦が予想される申込のなかで、更なる激戦であろうオーラス日に申し込む勇気は当時の(今もですが)私にはなく、諦めたという経緯もあったので、余計に「これは!今回こそ申し込んでみるべきでは!これぞ有休消化の使い時!」と、一気にバースデー公演への申し込みに心が固まった瞬間でした。

 

そして「公演一本に絞って、狙い撃ち一本釣りや~~!」という直球どストレートな気合いで申し込み、なんとか無事に年末に当選の連絡が届き「これは、私の一生のなかでも史上最高にハッピーなバースデーになるのでは!!!いやなるやん!!!!」と当選したその日から浮かれに浮かれていたわけです。この頃は、全く今のような状況になるなんて想像もしてないわけなのでね、浮かれちゃいましたね私(ちょっと切なくなってきたな)

 

そうして、上演されるグローブ座から遠く離れた地に住まいを構えている私は、必然的に東京へ遠征する運びとなり、宿泊先や交通手段を予約したり、東京で行きたい場所をgoogleマップに登録して、効率よくまわれる順番を考えたり(旅の最良ルートを考えるのがめちゃくちゃ好き)、ゆっくりお話ししたかったフォロワーの方とロケ地巡りも兼ねてお会いする約束をしたりして、私のまる末遠征しおりは日に日に楽しい予定でバンバン埋まっていきました。「いやもうこんなん、楽しい旅になるしかないやん!!」と行く前から満足げでした、うんかなり。

 

そうして来たる楽しいしかない、まる末観劇遠征の日を糧に、日々の仕事を進め、有給を取って支障が出ないよう仕事のスケジュールを組み、調整しながら毎日を過ごしていくなかで、徐々に感じていた不穏な空気が確実なものになりはじめます。

 

ある日から店という店からマスクが無くなり、毎日のようにニュースでは不安定な現状が報道され、仕事をする上でも納期や受注に遅れが生じはじめ、多くの人が集まるイベントや催しが次々と中止や延期になっていく現実。

 

その頃から徐々に「もしかしたら、無くなってしまうのかもしれない」と、どこかで不安に思っていたのは確かで。でも、それを自分の口から言ってしまったら言霊じゃないけど、本当にそうなってしまうんじゃないかとこわくて。

 

前々から観劇の日を凄く楽しみにしていて、その日を目標に「よっしゃ、頑張ろう」とモチベーションを高めていたこともあって、その楽しみが消えてしまうことは、反射的に考えたくなかったんだとも思います。

 

だから、髪を切りにいってメンテナンスしたり、履いていく靴を新調してみたり、1週間前から早々と荷物をパッキングし始めたり準備を万全に整えていくことで「そんなことにはならない」と自分自身で言い聞かせてたのかもしれません。

 

でも、現実はそんなに甘くはなく「休演」という不安に思っていた、そうなっては欲しくないと思っていたお知らせが届いてしまいます。それが、3日前。

 

ふといつものように開いたTwitterのTLに流れてくる、そうあって欲しくないと思っていた情報に動揺しながら、公式サイトへアクセスして書かれている文字を追って。何度見ても確認しても、書かれている「休演」という事実は変わらなくて、動揺が悲しみに変わります。

 

まず一番に「なんで、どうして」とそればかりが口からこぼれ落ちて出ていました。そしてTLに流れてくる、主演の4人や関係者の方々の思いを尊重するツイートに、私はなんで自分のことばかりで、自分ばっかり「辛い」と言っているんだろう、この歳にもなって………と 大人げなく情けない自分が嫌になる気持ちにも襲われて。

 

でも、どうしても悲しい、辛いという気持ちをなかなか拭うことが出来なくて、そう思うと泣けてくるたびに、自分が情けなくなるというまさに負のループ。つらみ。

 

そうこうしてる間にも、観劇を予定していた日は近づいていて、宿泊先や交通手段のキャンセルの手配をするにもキャンセル料の発生する日はとっくに訪れていることに気付き、東京へ行くか行かないかの選択をも迫られている現実。追い討ちがすごいんじゃ、、、。

 

そして悩んだ結果「休演する」ということの意味を考え意図を汲み取ると、自衛し予防することを一番に考えることが先決であり、となるとここで、新幹線に乗り東京へ行くことを選択するのは違うのではないかという結論に達し、そうと決まれば「よし、やるか」と、腹をくくり全ての予定のキャンセルしていくことにしました。キャンセルの手配は、ウェブ上でのクリックがいくつかと、みどりの窓口での駅員さんとの少しばかりのやり取りで終わり、キャンセル料こそ掛かってしまったもの悩んでいた時間に反してあっという間に完了してしまって。

 

そこでまたひとつ楽しみに予定していたものが本当に無くなってしまった感覚を実感しました。「あ……私、本当に行かないんだ、行けないんだ」とそこでハッキリ自覚したともいえるかもしれないです。

 

そうして全ての予定をキャンセルして家に帰ってくると、改めて喪失感がやってきて、辛い、悲しい気持ちが湧いてきて泣けてきました。弱っちいな自分よ……本当に。

 

 

そんないい歳して、グズグズと泣いて落ち込み凹み倒してる私を見て、半分可哀想、半分ドン引きという絶妙な距離感で見ていた家族が「そんなに横尾に会いたかったのか?」と問うてきました。

 

「横尾さんに会いたかったけど、会えなくなってしまって悲しい」という気持ちはもちろんあるけれど、それが一番悲しさを膨らませてる理由ではないんだなと、問われたことで初めて気付きました。

 

そこが一番の理由じゃないなら、じゃあなんで私はこんなに自分でも情けなくなる思いを抱くくらい悲しい気持ちになってるんだろうと。

 

少し考えて、私のなかで出た答えは、舞台が決まったときにまず感じたことと、先週に放送されたRide On Timeを見て感じたことのなかにあるように思えました。

 

それは、間違いなく今回の舞台が彼ら4人にとって舞祭組としての今までの活動の幅を超えた新しい挑戦であり、彼らのこれまでとこれからの活動のなかでも大きな分岐点のひとつになるんだろうなと、勝手ながら感じていたからで。

 

だからこそ、その大きな分岐点の最中にいて、悩みながら真っ直ぐ直向きに取り組んでる彼らの表現の集大成である舞台の本番を、見届けられなかったという悔しさへの悲しみが一番大きいんだなと。

 

もし仮にこれがコンサートであれば、映像として見られるチャンスに期待を寄せることも出来たと思いますが、舞台の映像化は過去にも稀にしか例がないこともあり、映像化への期待は限りなくゼロに近いところにあるように感じて。(現時点ではまだゼロではないので、中居さんのお言葉をお借りするならば、1~99%の可能性を信じたいです。)

 

それ故にもうどう足掻いても、彼らが一生懸命になって演じた役、作品づくりの過程とその完成形を、誰かの話や取材などの資料で感じ取ることは出来ても、自分自身の感覚で見たり感じたりすることなく終わってしまうんだと思うと、彼らを応援していくなかで凄く大きなものを見逃してしまったのではないかと、そう思わずにはいられなかったんだと思います。

 

でもやっぱり、それは私のエゴでしかなくて、私が今回舞台を見られなかったとしても、彼らは確実にこの○○な人の末路という舞台を経て沢山のことを得ていて、きっと新しい何かに気付き、前へ前へと進んでいくわけで。

 

それは、これまで私のTLに流れてきた彼らを愛おしく思っている方達の言葉で語られるレポであったり、日々彼らが更新してくれているブログであったり、休演が決まった次の日に動画で届けてくれた優しく強く頼もしい4人のメッセージからもひしひしと伝わってきていて。

 

今回のように、彼らの活動の中のひとつを見られなかったとしても、私はその活動を経て先へ進もうとする彼らを追いかけていけばいいんじゃないかと。その見られなかった時間で、点と点が結べなくなって全てが分からなくなってしまうわけじゃなくて、見られなかったとしてもきっと次の彼らの活躍を楽しみにして、届けて見せてくれるものを全力で見届けていけばいいんじゃないかって。今はそう感じています。「何を改まって、そんなことかい!」と皆さんは当の承知でご存知だったかもしれないのですが、私はこうして今回のことで改めてそうなんだなと感じました。遅すぎますよね(笑)

 

全部の公演を、無事に走り抜けたかったであろう4人の気持ち。絶対悔しさがあるであろうなか、明るく振る舞い、これからに期待を持たせてくれるような言葉まで掛けてくれた優しい思い。そんな4人のみせてくれた優しさと強さを壊してしまわないように、自分が抱いてしまった悲しい気持ちにそっと蓋を閉じて、この事態が2週間後になんとか好転し、休演後の残りの公演が無事に上演されることを願いたいと思います。

 

だから、最後に言わせてください。

横尾渉さん、あなたの演じる姿をこれからも見たいです!ぜひ、これからも横尾さんらしく演じてください!応援しています!

 

あーーーー噂で聞いてたスタイリング抜群な衣装を見に纏った、爆イケ足長スタイルお化けな横尾さんに向かってスタンディングオベーションしてありったけの拍手をおみまいしたかったです!!!!!またそんな機会がありますように!!!!ぱにたん!!!!