さんずいに歩くと書いて

ローラースケートで駆け抜けてく彼らのこと

「CDを買うこと」は思いを伝える手段

激動の週末が終わった。シャララと共に燃え尽きたような気分さえするような気がしている。
自分自身が特に何をしたという訳でもないけれど、この週末(特に昨日)はTLを見ているだけで、あらゆる人達の熱気と情に溢れていて目頭が熱くなるばかりだった。

そして、ここ数日「CDを買う」という行為そのものについて、改めて考えさせられているような気がしてならなかった。
と同時に、「CDを買う」ということが持つ意味について、私が初めて考えさせられた源さんのエッセイのことを思い出していて。

そして生活はつづく (文春文庫)

そして生活はつづく (文春文庫)


星野源さんのエッセイ「そして生活はつづく」の中に、「CDを買う」という行為についての考えが書かれた一節がある。


なるべく作った本人にお金がいくように定価で買いたい。なぜなら、その行為は作った人が金銭的に潤うのと同時に、「売れた個数」という数字によって作り手への賞賛がメッセージとして伝わるからだ。 ※そして生活はつづく 料金支払いはつづくより抜粋


私はこのエッセイを読むまでは、「聴きたいから買う」「欲しいから買う」という自分自身の自己満足の為だけにCDを買っていたように思う。「今もそうじゃない?」と言われたらそれまでかもしれませんが、「CDを買うこと」そのものが、「聴きたい」「欲しい」という思いを作り手に伝える手段であるということが当時の私にとっては盲点で。

好きなアーティストに「好きだ」と伝える方法として「CDを買う」ということが一番身近で一番ストレートな方法なのだと、二十歳を超えてからようやく気付いた訳で。

気づくのが遅過ぎたことは一先ずそっと置いておきますが、そこから自分が好きだと思った音楽に関しては、なるべく定価でCDを買うようになっていきました。

良いと思うものにお金を払うことで、作り手に何らかの形で還元され、より良いものを生み出すための蓄えとなり次の新しい作品が生まれる。実際は、こんな単純な話ではないのだろうけれど、そうやってつぎに繋がっていくことはファンをしている上ではなにより嬉しいことだと思っていて。

間接的だしやっぱり自己満足なのなもしれないけれど、音楽を聞いて「明日もまた頑張ろう」と思えた気持ちを、CDを買うことで作り手の方の「明日もまた頑張ろう」という気持ちに何か少しでも力になれるんじゃなかろうかと…
ん〜やっぱり自己満足ですかね。でもそうあったらいいな〜と思うわけです。ただのファンでしかないけれど、それくらいしか返していけるものないんじゃないかと思いますしね実際。


キスマイにとっては、今回の数字が次に繋がる大きな正念場だということを分かってはいたものの、そのことについてこれだけ考えさせられることになろうとは到底思っていませんでした。そして、彼らの置かれている状況の過酷さについても改めて考える機会に結果的になった訳で。

「ランキング1位」「連続記録更新」という言葉を聞いて「すごいな」と思いつつも、どこかで勝手に難なくクリアしてきているのだろうと思っていた自分の考えの甘さと浅さに申し訳なさを感じずにはいられませんでした。

「1位でなければならない」「連続記録を維持し続けなければならない」そんなプレッシャーの中、ひとつひとつ彼らと彼らを応援している人達とで勝ち得てきたものなんだということ。それは決して簡単なものではないのだということ。いつ何が起こるか分からない中で戦っているのだということ。


そんなことが頭の中でぐるぐると、とぐろを巻くかのように巡っていた週末。まだ、どうなるかは明日になってみないと分かりませんが、微力ながら彼らの力になれれば…と賞賛の意味を込めてほんの気持ちではありますが、追いシャララしたまでです。

同じものを何枚も買うことに対しては未だ心なしか抵抗がありますが、その1枚1枚に自分にしか分からないものだとしても、買うことに対して意味が込められていればそれで良いと個人的には思っています。


各々の思いは、CD一枚一枚に乗せられ、彼らがもし嫌だと拒んだとしても暑苦しいくらいに賞賛の思いはきっと届いていると思っています。その賞賛が、喜びを噛み締められる結果として現れる瞬間が来ることを今は切に願うばかりです。


最後にもう一節、源さんの言葉をお借りして締めたいと思います。

良いものと引き換えにお金を払う。それはとても人間的で素敵な行為だと思う。※そして生活はつづく 料金支払いはつづくより抜粋